青山ゆみこさんの個人向け文章添削講座を受けました!

昔から文章を書くのが得意なのですよ。
「話す」よりは「書く」が圧倒的に。

おそらく、私が緊張しい・人の目を気にするって性分なので、
 考えたことを喋る=そのまま出す
に不安があるんでしょうね。

確かに脳内ではそう考えたけど、それをそのまま出すなんてコワイコワイ・・・ (><)
もっと良い表現が出来るかも知れないし、内容だって熟考すればもっとええのんになるはず・・・(><)

工場的に言うと、出荷前検査をしたいのでしょうね。きっと。

こんな不安感いっぱいな人なので、
 「脳内で考えてたこと」を紙とかに「固定化」するだけの「書く」
は安心なのです。

書いたものは消せますからね。
自分以外に誰も見てなかったら、「無かったこと」にできますからね。

冒頭から真後ろ向くくらい後ろ向きな話になっちゃいましたが、とにかく「書く」は得意なのです。

だから、仕事で資料やメールで書くだけでは飽き足らず、プライベートでブログをやってるんですね。

ありがたいことに「読みやすい」と褒めてもらえるので、喜んで書くを繰り返して
 「書く筋力」
はかなり付いてると自画自賛。
ボディービルダーの方が筋肉を愛でるような感じでしょうか。

あ、書く筋力と言えば、子どもが生まれてからの毎日の育児日記、まだ続けてますよ。
 ↓
育児日記をブログ出版局で本にしてみました!

リンク先のブログ記事を書いたのは2014年なので、4歳の時。
この記事を書いてる今は7歳になったので、丸7年

基本は毎日書いてるので、2,500日分くらいはありますね。
身体の筋トレは全くですが、書くのは良く続いているなあ、と自分でもちょっと気持ち悪い( ̄▽ ̄;)

そうなると、文章を書く技術系の講座は受けよう、って意欲はわきませんよね。
しかも我流でやって来てるので、いまさら赤ペン入れられても、
 ケッ(-_-メ)
的な反応になるのは容易に予想が付きます。

だから受けなかったんです。必要も無かったですからね。

・・・と思ってた私がなぜ文章添削講座を受けたのか、どんな講座だったのか、のお話です。

出会いはツイート

講座を知ったのは、ナミさん(@namiyumi)のツイートです。
グラレコを始めた当初、知りたい欲のままに検索しまくってた時にたどり着いたのがナミさんのサイト。
 ↓
ファシリテーション文具案内

欲しい情報だらけで、ひたすら読み漁ったのを覚えてます。
自分的にツボだったのは、100均ショップで売ってる模造紙の記事(^^)
行くたびに品揃えを確認するようになっちゃいました。

ナミさんに初めてお会いしたのは、私が所属しているむす部(→こちら)のイベントです。
デンマークで開催された、ビジュアライズの世界大会Euviz2018のお話を聞く会でした。
グラレコ初めてすぐの頃だったので、色々圧倒された中での質疑応答。

グラレコやったことの無い人に、絵は描けなくても大丈夫ですよ、と伝えるものの
文字だけでも難しいです、って言われちゃうのでどう答えたら良いですかね?と質問したら、

電話メモは書けるでしょ?

と。

しびれましたね。
本質オブ本質。
電話メモって要点のカタマリじゃないですか。
誰からの電話で、どういう用件で、不在だった人にどうアクションして欲しいのか。

それをリアルタイムに聴いて、書き残す。
だけども、発言録のように一言一句書き残す必要は無い。むしろ雑音。

グラレコと一緒じゃん∑(゚Д゚)

いやー、文具案内の人だー☆とミーハーな感じだったのがこっ恥ずかしくなりましたね。

もう、事あるごとに使わせてもらってます。
話す時には、オリジナルではないと注釈付けるようにしてますが、
私から電話メモの話を聞いた方、全力でナミさんからのパクリです。

描かれるグラフィックも、何だろうな、無駄が無い。
シンプルなんだけど、必要なことが必要な分量と程よい装飾で描かれてるって印象です。

私の中では、地獄のお絵描き道場のえんま先生と並んで「こんな風に描きたいなあー」と追い掛けてる方。
 ↓
2018/04/21 えがこう!地獄のお絵描き道場 「できる仕事人は絵が描ける!」@大阪に参加してきました!

そんなナミさんがツイートで受講した、と書かれていたら、そりゃもうガン見です(^◇^;)

こちらは、ナミさんが受講後に書かれてた記事です。

添削講座と言うよりは、熱烈な読者のお返事って感じ

どんな講座か、は青山さんご自身が書かれた言葉を読んでもらうのが良いかと思うので、リンク貼ります。

流れとしては、
 申し込み
  ↓
 受講枠に入れたら受講料払う
  ↓
 書く課題が届く
  ↓
 書いて返信
  ↓
 お返事が届く(戻し、と呼ばれています)

で、シンプルなやりとりです。

ただ、もうねえ、そのお返事がもう、
これは受けた人しか伝わらないと思いますが、
お返事が濃ゆい

お金もらってもそこまで読み込まないだろうし、読もうとしないだろう、って思う濃度で読まれてます。
しかも、その読み込みまくった感想を、文章のプロが全力で書いてくれるのですよ。

お返事を読んだ瞬間に感動と衝撃でした。

◯◯賞みたいなコンクールに申し込むとか、そこまで行かなくても何か文章を書くと
「書き手の熱量」って差はあれども文章に入ると思うんですよね。
ただ一方で「読み手の熱量」を感じる機会ってほとんど無いように感じます。

出版してれば読者の反応や感想はある程度届くでしょうけど、私のような個人ブロガーだとSNSで投稿した際のコメント、が限界ですね。それでも反応があると嬉しいものです。

とはいえ、反応って短いんですよ。
良い悪いじゃなくて、事実として。

そりゃそうです。読んだ反応なので、書き手が込めた熱量と同じ熱量で返す必要は無いですから。
まあ、うっかり暴発して炎上して何百倍もの熱量が降り注ぐ…ってことは稀にあるんでしょうけど。

そんな中で青山さんのお返事は、「読み手の熱量」がすごいんです。

書き手は、
 講座を受ける意欲
  ×
 プロに読んでもらう高揚感
  ×
 まあまあな受講料を払うことの気合い

の掛け算で練りに練って、熱量を文章に込めます

が、青山さんはそれに負けずとも劣らない熱量で返してくれます。

これがもう嬉しくて嬉しくて(//∇//)

文章書くのが好きで、仕事でもプライベートでも文章書くこと多いですが、先ほどの通り「読み手の熱量」って返って来ないのですよ。

それが今回は
 「全力で読んでくれる上に、返事をくれることが確定してる読者」
に向けて書けるんですよ。

もう興奮以外の何物でもない(((o(゚▽゚)o)))

書いている時間、
お返事を待ってる時間、
そしてお返事を読んでる時間、
どれも至福でした。

ちなみに、この記事のアイキャッチ(下にある画像)が青山さんから届いたお返事です。
A4サイズで全7ページ

私が書いた文章は2ページ分なのに、こんなにビッシリギッシリ赤字で書いていただきました。

もうねえ、嬉しすぎて身体中から色んな汁が出まくり( ´艸`)ですよ。

この記事のアイキャッチ。赤字は全部青山さんの手書きですよ。

やりとりで印象的だったこと

メールでは饒舌になる(^_^;)私のせいか、青山さんともまあまあな長文でやりとりさせてもらいました。
そのやりとりやお返事は大事にしまっておきますが、私が書いた文面であれば世に出しても大丈夫でしょう。

お返事を受け取った後に送ったメールから抜粋します。
受講した感想としてはこの部分に凝縮されていますね。

意図的にやってる(書いてる)ことも、真正面から評価してもらったので、こっ恥ずかしいところもありましたが、それよりも無意識にやってたけど確かに自分の文章の型、よく見るパターンのところまで言語化してもらって「自分の取説」を読んでるような不思議な感覚でした。

料理人が手間暇かけてこだわって作った料理を食べてもらったら、お客がすごく繊細な、材料の下ごしらえやら素材の調達から、隠し味までをしっかり感じて、解説と感想を言ってくれたような感じでしょうか。

そうそうそうそう
そこよそこ
そこ気付いてくれる人はなかなか居てないのよ

と喜んでいることを、見た目で悟られないようにクールな顔を保ってるけど、若干頬が赤らんでて、
 大将嬉しそうね
と、店員さんが微笑ましく見てる、みたいな状態です。

私から青山さんへのメールより抜粋

あと、お返事の際にいただいたまとめは公開不可、と念押しされていましたが、
どうしてもこのフレーズを使ってお話ししたいので引用します。

「読み手は、思考の道筋をたどることで書き手の追体験をする」

私が文章を書く時に大事にしてたことを言語化して、
 読みやすいと言ってもらえてるのは、これを読み手に感じさせてるからですよ
と、教えてもらった感じがしました。
(どこまで自信家やねん、って気もしますが(;^_^A)

このことを意識しながら文章を書いている訳では無かったのですが、自分なりの着地点です。

  • 「思考の道筋」を示す地図、を目指して書くのが「自分の文章の型」なのだろう
  • 迷わず「追体験」してもらうために、住宅地図のように道筋が細かくなる=文章が長くなるのだろう

青山さんのお返事は、私の気持ちも和らげてくれました。

私自身、4月に仕事の環境が変わって、少し足元が不安定になっていましたが、自分が好きで苦も無く出来る分野である「文章を書く、考える、表現をする」でこんなに褒められたら(ここに来て稚拙な表現な気がしますが、一番しっくり)頭のてっぺんから足の先まで、一本スッと骨太な芯が通りました。

これでいいんだよ、間違って無いよと、とても健康的な精神安定剤をいただけた気がしています。

一つ前の回でもなく、次の回でもなく、この4月にお返事が受け取れる機会に参加できたのも偶然ではなく
必然だと確信しており、感謝感謝です。

私から青山さんへのメールから抜粋

私が提出した課題

グラレコのモットーである、描いたら人の目に晒せ!@えんま先生 と同じように文章を晒すべきなのかは、さておき(^◇^;)、私が書いた文章を最後に貼っておきます。

課題のテーマは書けませんが、単なる読み物として目を通していただければ・・・。

仕切りたがりの処世術

「遠足はもう終わったんじゃ!」

遠い記憶なのに、脳内で上書き禁止になってる。しかも、微妙に表面がザラついてるので、ちょくちょく引っ掛かって忘れさせてくれない。でも、この”ザラつき”のおかげで、自分で自分が生きやすい世界を作り続けられている、と言っても過言ではない。

相手が「あなた仕切る人・わたし仕切られる人」を受け入れる準備ができていないままで、自分が思うように動くと、自分と相手の間には摩擦が生まれるのだな、と意識させてくれた原体験です。

冒頭のセリフのきっかけである、小学校の遠足の班長になった経緯は全く覚えてないですが、中学校の学級委員は立候補が無くて最後は担任が出席番号1番の男女をご指名。もらい事故みたいなものですね。

それに対して、高専…ご存知では無いかもしれないので補足。高等専門学校の略で、高校+短大相当の5年間制の学校で、工業高校に大学の緩さを混ぜた不思議な空間。その高専入学すぐのホームルームで自ら学級委員に立候補。1学科1クラスでそのまま5年間なので、総代も5年間。そこから部活(吹奏楽部)の部長、社会人で参加した一般の吹奏楽団での事務局長やら副団長…。

「”長”の付く立ち位置」に縁がある人生を過ごしてますが、「小・中」と「高専以降」で明らかに違うのは「自発的」に動いたことですね。
高専の総代は立候補、部活の部長や一般の楽団での役割は「彼がやるのが当然でしょ」と思わせる他薦の空気感を積み上げて、満を持して着任。

無意識だったものの、振り返ると処世術としてやってたんだな、と思います。
結果として受けた恩恵が3つ。

私は極度の人見知り。でも「ぼっち」が苦じゃない性格。
なので、新しい環境ではうっかり1ヶ月くらい喋らないこともザラ。新入社員の時が顕著で、同期70人ほどの集合研修が一ヶ月あったのにほぼ喋った記憶がありません。空気ですね。
こんな私でも「仕切る人」に回った途端に「あの人、仕切る人だわ」と、【役割で存在を認識】してくれます。これはデカい。
全員が初めましての同じ色の中で、一人だけ色が変わるんです。名前は覚えられなくても、役割はただ一人だからすぐに呼んでもらえる。

ちなみに私の高専時代のあだ名は「総代」。うちの高専では学級委員を「総代」と呼ぶので、単なる役職名ですね。卒業から20年経った同窓会でも「おお、総代」と呼ばれるので、名字知らんのちゃうか疑惑も。これが1つ目。

2つ目は、「仕切る過程」で自分を知ってもらえるので、【自己アピールをしなくても良い】んです。
皆さんの前で喋る、一緒に仕切るメンバーと相談する、などを通じて「自分の色を理解」してもらえます。誘ったり・誘われたりの機会を作らなくても役割をこなしていれば、関係性が深まるのは精神的に有り難い。

最後は、【先が見通せる】こと。
小心者なので「この後の展開が読めない」ことは、備えが出来ないのでかなりストレス。「決まっていないという事実」を知るだけでも十分な安心材料。段取りを考えたり、準備するってタスクに分解できるので、それでもう心は平穏。

自分の「仕切りたがり」欲を周りに受け入れてもらう処世術を忘れないために、脳内に残ってる”ザラつき”。随分助けてもらったので、そっと撫でてやろうかな。無理だけど。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2021