総合地球環境学研究所のオープンチームサイエンスプロジェクト主催のセミナー
「話し合いの中でグラフィックレコーディングがもたらす視点の意味 ~衝突や沈黙が議論の可視化で創造的な場に変わる成り立ちと意味、その効用を探求する~」
に参加して来ました。
長いですねえ。フルコースで書くとめっちゃ長いですねえ。
Facebookのイベントページはこちらです。
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https://www.facebook.com/events/397067710928638/?ti=cl
会場の総合地球環境学研究所のホームページはこちらです。
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http://www.chikyu.ac.jp/
タイトルにもある通り、グラレコをテーマとしたセミナーです。
でも、会場は京都市北区の上賀茂。しかも平日金曜の昼間。
普通だったら「行きたいな」「でも行けないな」の1ラリーで終わりです。
でも、このセミナー、お話されるのはこの本を書かれた・・・
『Graphic Recorder —議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』著者の清水淳子さん!
2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後、Web制作会社でデザイナーに。2012年WATER DESIGN入社。ジャンルを超えた横断的な事業開発や商品流通を生むためのビジネスデザインに携わる。
出典:多摩美術大学情報デザイン学科情報デザインコース
2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。同年、Yahoo! JAPAN入社。データサイエンティストと協業して、UXデザイナーとしてアプリ開発に携わる。
2017年 東京藝術大学美術研究科 情報設計室にて議論の可視化に関しての研究を行う。著書に『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』(BNN新社)がある。
( http://www.idd.tamabi.ac.jp/design/outline/faculty/professor/shimizuj.html )
経歴見ただけで鼻血が出そうです。
とてもとても追い付けなくて背中も見えやしませんが、「自分が好きでやってるコト」で飯を食ってる人ってやっぱり憧れですし、リスペクトです。
しかも主に関東で活動されてて関西に来られることが無いので、この機会を逃したら死ぬまでに会えないでしょ!と即答で「行くでしょ」の一択になりました。
それでもやっぱり遠いよ上賀茂は
交通アクセスのページ見てたら、京都から地下鉄+バスって選択肢もあったのですが、鉄分豊富な我が家としては電車一択。
http://www.chikyu.ac.jp/access/
電車大好きな息子から
「おとーちゃん、えいざんでんてつのしゃしんとってきてね♪(⌒∇⌒)」
とリクエストされたので、良いんです。
さて、移動ルートは・・・
山陽電車(播磨町〜新開地)
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阪急電車(新開地〜十三〜河原町)
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京阪電車(祇園四条〜出町柳)
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叡山電車(出町柳〜京都精華大前)
なっが!何と2時間49分の道のりでした(^_^;)
良いんです。
京阪のプレミアムカーも見た(乗ったのはお金掛からない隣の車両)し、
写真リクエストされてた叡山電車にも乗ったし。
でもねえ、最寄りの叡山電車の京都精華大前駅で降りて、Google先生に道案内頼んだらグルーっと山道を進みなさいとおっしゃる。
文句言ったところで、自力では道が全く分からないので、雨の降る中素直に歩きましたよ。
大きな建物は一個しか無いので、おそらくあれだろう、と思うものの、全く看板も出て無くて、不安そして不安。
どうにかこうにか到着した頃には、汗でビッチャビチャ(;´Д`)
めっちゃ近くで清水さんのお話聞きましたよ
参加したいと申し込んだら、歓迎します、とお返事頂いたものの、地球研も分からなけりゃ、セミナーの規模感も分かりません。
得体の知れん部外者、しかも汗だくのおっさんが入ってもええのかいな、とソワソワ。
それでも私のように外部から参加された方も居て、一安心。
会場もこじんまりとした閉じた部屋で、こんな近い距離で清水さんの話が聞けるなんてお得感満載。
セミナーの様子はこんな感じでした。
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https://www.facebook.com/RIHNOpenTS/posts/2332547630191419
さて、前半は清水さんがこれまで活動されてきたことのおさらいと、その経験からグラフィックレコーディングが与える効果を体系立てて整理したものをお話頂きました。
全然描いた母数も規模も違いますが、うんうん、と頷くお話ばかりだったので、自分も同じことをやってるんだなあ…とちょっと感動。
後半は、参加者との質疑応答。
せっかくなので…と私も質問したら、ちょっと褒めてもらって、フガフガと興奮気味(´ω`)
参加者には「描いてる人」だけじゃなく、「描いてないけど研究してる人」も居て、自分では思いつかない観点の質問もたくさんありました。
面白いな、と思ったのは、万人に理解されるグラフィックは無くて、それは「味」と同じってお話。
確かにカレーが好きって言っても、甘口や辛口・日本のカレールーやスパイスから作る本格的なやつ、とかみんな好みが違います。
グラフィックも、字が多くて読める方が好き、絵が多い方が好き、カラフルなのが好き…。
独りよがりになるのは駄目ですが、かと言って何か八方美人を狙ってブレるくらいなら「私の描き方はコレ!」と軸を持つ方が良いのかも。
終わってからサインと写真をお願いしちゃいました
あっという間の1時間が終わって本編終了。
清水さんはまだしばらくお時間あるってことなので、ズイズイと前に行って名刺交換。
色々お話もさせてもらって、エイ!と思い切って持って行った本にサインをお願いしたら、私の似顔絵も描いて頂けました(⌒▽⌒)
ミーハーついでに…と写真もお願いして撮ってもらっちゃいました♫
描いても必ずHappyになる訳じゃない
「描いても必ずHappyになる訳じゃない」ってフレーズは、清水さんのお話でも出てきましたし、他でも見たり聞いたりしたことが有ります。
ただ、板書・記録を入口にして、グラレコをやり始めた私にとっては、イマイチ腹落ち出来ていないのも確か。
その場で話しただけだと、「消えて無くなっちゃう言葉」を描き留めておけば、後から振り返られるし、マイナスなことって無いんじゃないの?と思っちゃいます。
お話を聞いて、自分の中でこのフレーズに対する答えと言うかピントは少し合ったような気はしましたが、まだモヤっとしています。
このセミナーに参加した数日後、以前に録音したラジオを聞いてて、「ああ、そういうことなのかな」と感じたのでご紹介します。
6/20(木)の午前3時(19日(水)の深夜3時)から放送された「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」からの引用です。
番組ホームページ
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http://www.allnightnippon.com/sakuma/
この日は伊集院光さんがゲストでした。
番組後半、リスナーから届いた質問に回答するところのお話です。
佐久間)
出典: 佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO) 2019年6月20日放送分 4:14頃から
伊集院さんはまさにラジオを愛し、ラジオを愛された男、っていうイメージなのですが、「ラジオがもっとこうなればいいのに」みたいに思ってる事ってありますか?って真面目な質問ですね。
伊集院)
「ラジオがもっとこうなればいいのに」って何なんすかねえ。
何かねえ、いつも、ああそこかあ、って思うのは、
TBSラジオが開局した頃のインタビューっていうのが何周年記念かの時に出て来て、「未来のラジオどうなりますか?」ってのを何十年も前に聞いてるの。
そしたら、ほとんどの人の答えが、「映像が出るようになる」って言ってんの。
佐久間)
ええっ!
伊集院)
テレビが無いから。
たぶん、テレビっていう物は何か聞こえて来てるんだけども、例えば、映画と比べると音だけじゃん、って意識がみんなにある訳でしょう。
そしたら、ラジオは未来、映像が付くと思うってほとんどの人が言ってるんだけど、こっち側の未来から見れば、「映像は付いた」けど、付いたけど、「それをラジオとは言わなくなっている」っていうことが、何かすごい衝撃で。
っていうことは、こっから何か進化したやつは全部ラジオ「以外」の名前が付き、ラジオはおそらく永久にこのままなんだろう、って意識がちょっとあって。
何かその、色々ネットとコラボしたり、今もこうやってカメラ回したりとかしていくんけど、これがもっと本格的になると、おそらくこれ新しい名前が付き、ラジオってまた「音だけ」の、割とこう、原始的なやつでずっと居続けるか、って思ったりするかな。
佐久間)
でも、その方が良いってやっぱ思っちゃいますけどね。
伊集院)
そうなんだよね。
どうなのかな、そのへんの…すげえ難しくて、やっぱハガキとか相変わらず好きだけども、じゃあねえ、そこは否定できないっていうか。
佐久間)
伊集院さんのラジオ聞いてて、伊集院さんが時々本当にトンチキなこと言うじゃないですか、何っつたら良いの、妄想みたいな一言。
それを、「自分の頭の中だけで思い描いてるもの」が、「自分のものだけ」になるじゃないですか。音だと。
伊集院)
あー、わかりますよ。
佐久間)
それがラジオってすげえ良いなあ、と思うんですよ。
伊集院)
落語の頃から言い古してるんだけど、落語に出てくる「松の木におじやぶつけたような顔」っていうブスの表現が有るんですよ。
佐久間)
松の木におじや…
伊集院)
「松の木におじやをぶつけたような顔だねえ、あのブスは」っていう表現があるんですけど、これって全員にとって「オーダーメイドのブス」が出来上がって、これを映像で、CGにして見せちゃうと、そこを絶対超えないで、「自分の思ってたのと、ちょっと違うなこのブス」ってなるけど、なんかその「松の木におじやぶつけたようなブス」は超えないと思うの。
ハイビジョンも VR も「自分の頭の中のモデルブス」が出来上がるから、なんかその感じとかはラジオ好きで、変わんないでくれと思う。
良い意味のキーワードでは無いので、引用は迷いましたが、この話の流れ聞いて「ああー」と唸ったので、そのまま採用させてもらいました。
ここでお話されているのは、
「映像化してしまうと、みんなが同じイメージに固定されてしまって超えることができない」
ことを引き合いに、
「だから音声だけのラジオは良いよね」
です。
じゃあ、グラレコ目線で考えてみましょう。
話を聞いて「聴き手」の人が自由に想像・イメージできるはずものを、描くことで「映像化」されて解釈が一通りになってしまいます。
しかも、それは「描き手」が聞いた話の中から、取捨選択して描いただけのものなのに、描いたグラフィックが、まるでそれが「答え」であるかのように記録=固定化されてしまう。
言い換えると「可能性」のうちの一つにしか過ぎない、とても描き手の主観的なものが、「ただ一つの答え」のように扱われてしまう危うさ、でしょうか。
これって、グラレコの「 曖昧さを無くして、理解を共通化する」ってメリットと裏表の関係ですね。
聴き手が映像化する余地を残すために、
「敢えて絵にしない」
つまり
「文字だけで書いておく」
ことも積極的に選んでも良いのかな、と思いました。
(字よりは絵の方が伝わりやすいので、グラレコする時はできるだけ絵で描こうって意識してます)
描かないと消えちゃってhappyじゃない、
でも
描くと聴き手なりの映像化が出来なくてhappyじゃない
だから「描いても必ずHappyになる訳じゃない」ってことなのかなあ、が今の私なりの結論です。
何だろう、これを無意識に考えてるから、私がグラレコすると文字が多いんですかね。
やっぱり根底には「全部書きとめたい」って思いがあるんでしょうね。
速記じゃないから無理!ってのは物理的には分かってます。
でも、「描き手が映像化したもの」だけじゃなく、「話し手の生の言葉」も描き残して、グラフィックを見た人に十分な判断材料を渡したい、提供したいんだな、と今回改めて考えました。
速記みたいに字を書くだけでも追い付かないのに、更に絵も描こうと思うと、千手観音みたいに手がたくさん要るので絶対無理なのですけど(^_^;)
でも音声入力が進んで、映画の字幕みたいにリアルタイムに発言が文字になって、それと組み合わせてグラレコするってことになれば、理想に近いことは出来るかも。
そうなると、見てる方は情報過多で嫌になるかも知れませんが…